批評家のポジション

みなさん、ご意見ありがとうございます。
でも、それでもと僕は思ってしまいます。
(仕事場に働く力、信頼関係について、書きたします)。


五十嵐さんのいわば「個人の力を出しきって、チームのものにされてしまうのがいやならば、独立するまで力を温存すれば良かった」っていう理屈。そうすると、チームの力は、ひとりでやるより、当然低くなっちゃうはず。
なんでアトリエがうまく動いているかというと、必死にがんばって、もてる力全部ださないと、代表落ちだよ、って無言のプレッシャーがあるからなんじゃないのかな。


「いやなら力を出さなければいいのに」っていう理屈はやはり、たとえば、会社にきちんとした身なりの恰好で来た社員に社長がちょっかいだして、社員がいやがって訴えたら、「いやだったら、きみはなんで、そんな魅力的な恰好をしてくるんだ」、っていってるみたいに感じてしまいます。そして「社員の行動や身なりは上司の責任になってしまうんだよ、入社するときに服装等は会社の方針にしたがうことって書いてあっただろう!」なんて、組織でセクハラを肯定するようなへ理屈を言っているような気がしてしまう。それが組織なんだよ、それが嫌だったら来なければいい。他の人はみんな、それを承知でやっているんだから、っていうのが事なかれ主義。
つまりほころびを、組織の通例として正当化する理屈。


組織に属する人(属していた人)はえてして、こういう事をいうのだろうけれど、組織に属していない批評家であるはずの五十嵐太郎さんが書いているので、なぜ、っていう感じがしてしまうのです。(それとも、五十嵐さんって組織に属している人だったの?)
 
ともかくchocopieは「きみが嫌がるなんて思ってなかったよ、いやだったらそんな魅力を見せないでよ。」と似て聞こえるだけでも、こういう理屈をいうのはちょっとね、と感じます。